総勢13名の作家らによる、
3年越しの全作描きおろし。
100号以上の大作が一堂に会し、
作家自身の矜持とも言える、
自身にとっての代表作を描いた
写実絵画の最前線
「私の代表作」の始まりは、2007年までさかのぼります。
創設者の保木将夫は、美術館設立にあたり、ホキ美術館の特徴になるものを作ろうと考えておりました。そこで作家を集め、3年をかけて将来「私の代表作」と成るような100号以上の大作を作家自身が考えたテーマで描いていただくように依頼しました。
そうして2010年の開館のときに、描きあがった作品が特別な展示室、ギャラリー8に展示されました。大半が白い壁の展示室のなかで、ギャラリー8は唯一黒い壁、黒い床、黒い天井。ガラスで仕切った一人6メートルのスペースに、作品が1点ずつ展示されます。
自身の代表作を描く故に、費やされるエネルギーは凄まじく、同時に並ぶ作家の作品にも闘志を燃やし、一切の手抜きなく各自が磨き合ってきました。作家同士もどのような作品を描くかは、展示するまでお互いに知りません。もちろん私どもも納品されるまで知らされておりません。ホキ美術館の所蔵作家は現在60名あまりいますが、ここに展示できる作家は、いま一番輝いている作家です。そして作品は3年間継続して展示されます。こうして「私の代表作」の展示は4回の展示替えを経て、この度、第5回目を迎えます。
本展では、作家の生の声による作品解説をお聞きいただくことができる音声ガイドがございます。作品横に設置されたQRコードから専用サイトへアクセスしてご利用ください。
総勢13名の作家らによる、3年越しの全作描きおろし。
100号以上の大作が一堂に会し、作家自身の矜持とも言える、
自身にとっての代表作を描いた写実絵画の最前線
主な見どころ
ホキ美術館の根幹、「私の代表作」展によって誕生した歴代作品を展示
「私の代表作」展の開催は、今回で第5回目を迎えます。過去4回に渡る「私の代表作」展によって、これまで当館に収蔵されてきた作品点数は50点を超えます。そして今回、新たな13点の作品が追加されました。ホキ美術館の根幹をなすだけでなく、写実絵画の世界においても、代表作となりうる作品の数々が誕生する「私の代表作」展、その歴代コレクションの一部と共に本展をお楽しみください。
自身にとっての代表作を描く、総勢13名の作家らによる矜持とも言える渾身の作品群
「私の代表作」展は、作家の方々に “自身にとっての代表作となるものを描いてください” という作品制作を依頼することも大きな特徴です。本来であれば多くの人に評価されて初めてそう呼ばれる、いわば鑑賞者によって生まれるものとも言える「代表作」の創作を依頼されることほど、描き手にとっては困難なこともありません。そういった中での、出展作家らの挑戦あふれる、渾身の作品に出会えることは本展の醍醐味でもあります。
第5回「私の代表作」展の作品を当館から依頼したのは、2020年でした。サイズ指定は、100号以上という大作。ベテランの作家から新人作家までが一堂に会する展示は極めて稀でホキ美術館ならではと言えます。その描き下しのすべてが2023年11月23日に初公開となります。
3年越し、100号以上の描きおろしの大作が一堂に会する壮観な展示風景
作品横のQRコードより、作家自身の生の声で語る音声ガイドが聴取可能。
個性豊かな作家による作品の成り立ちや制作背景が堪能出来ます。
作家肉声により作品が語られる音声ガイド
館内にFREE Wi-fi が設置されました。
いままで電波が入らなかった地下階でも通信が可能になります。
※館内での通話はご遠慮ください。
館内にFREE Wi-fi が設置されました。いままで電波が入らなかった地下階でも通信が可能になります。
※館内での通話はご遠慮ください。
野田弘志・青木敏郎・五味文彦
原 雅幸・大畑稔浩・小尾 修
石黒賢一郎・諏訪 敦
塩谷 亮・廣戸絵美・藤田貴也
山梨備広・三重野 慶
H I R O S H I N O D A ・ T O S H I R O A O K I ・ F U M I H I K O G O M I
M A S A Y U K I H A R A ・ T O S H I H I R O O H A T A ・ O S A M U O B I
K E N I C H I R O I S H I G U R O・A T S U S H I S U W A
R Y O S H I O T A N I ・ E M I H I R O T O ・ T A K A Y A F U J I T A
T O M O H I R O Y A M A N A S H I ・ K E I M I E N O
展示作家
作家コメント
野田弘志
この作品は加賀乙彦さん、昨年でしたか93歳で亡くなった、日本で珍しい長編作家なのですが、加賀さんとはいろんな因縁があって、一番仲良くというか、最近まで一緒に酒を飲んでいた仲間です。
初めて会ったのは朝日新聞の朝刊の連載小説で「湿原」という小説の挿絵を描かないかという話があって、それまで加賀さんのことは全然知らなかったんですが、慌てて加賀さんの代表作の「宣告」という、もっと難しい小説をまず読んでみて「じゃあ描こうかな」と、面白そうだからやってみるかと思って。
ただし1日1枚 描かなきゃいけないんで、試しに一番難しそうな…厄介そうなもの、鳥の巣を書いてみたんですね。そしたら2週間かかってしまってこれはやっぱりだめだと、じゃあ加賀さんに、会う約束ができてたんでお詫びをしてお断りをして帰ってこようと思って行ったら、事情説明してこうこう、こうだから無理ですよ っていう話をしたら、「それでいいんですよ それは結構ですね、いいですね」と、意味のわからないこと言われて丸め込まれて描かざるを得なくなったんですね。いざやったらもう大変で、朝から晩まで挿絵挿絵で本当に困ったんですけど、まあそのおかげで加賀さんと仲良くなって。
それで90歳のころに同じようなことがまた起こったんですね。
軽井沢の一つ先はなんて言ったっけ、追分ですか?そこに加賀さんの別荘があるんですけれど、そのこともあって軽井沢 文学館っていうのが、そこの館長をずっと勤めておられて。
90になっていろんな方からお祝いをしていただいた集まりもあったと、で「あなたが描いてくれた私の肖像画がここにあったらもっと良かったと思います」ってまたやられましてね、何十年ぶりかでまた加賀節で。
その時僕はぜんぜんまだできていなくて、加賀さんの取材はできていましたけど全然まだ加賀さんを描くところまでたどり着けていなくて、弱ったな弱ったなってうちに亡くなってしまって、まあやっと今回できたというか、ポール・バレリーに言わせると「完成というものはない」と、「完成っていうのは完璧なものにするのを放棄したということだ」というようなことをバレリーは言っていますけど。
そういう意味で言うと一通り塗っただけの絵なんですが、まあひとまず納めさせていただいた。
「「崇高なるもの」OP.9」
青木敏郎
私は京都に生まれ育ちました。そして今もアトリエをかまえています。京都は神社仏閣、名所旧跡も多く、描かない手はありません。自分の求める、自分の感性に合った、絵心の沸き起こるような場所を求めてあちこち散策しましたが、残念ながら見つからず困惑していました。
この絵は京都の真ん中を流れる鴨川の川べりの、とある眺望を描いたものです。
この辺りは普段散歩やジョギングに最適なところで多くの人を見かけます。しかし絵心をわき起こしたことはありませんでした。
秋も深くなってきたとある日、久々にここを通りかかったところ、ある地点からの眺望が一変していました。東山を背に川べりの木々の紅葉も半ば散り、それらの様が川面に映り琵琶湖の方からの野鳥も飛来し、この季節にしか見られない、絵を描くには最適と思われる眺めへと変貌していたのです。
「晩秋の川面に映る木々」
五味文彦
この木は何時生まれたのでしょうか、人の頭に丁髷が載っている頃には、もう一人前の大きさになっていました。さらに廻りを圧する程の大木になった頃、西の彼方に煙が見えました。朝義隊と云う人達が戦をして負けたそうです。それから数十年、大地が揺れ、また西の空に大きな黒い煙が何日も立ち上っていました。大勢の人が死にました。さらに数十年、星の数程の銀翼が空高く西に向かい、都を火の海にしたそうです。また数十年経ちました。北の大地が揺れ、大きな津波があり、放射能という毒が撒き散らされました。
歴史を描いてみたい。ただ、歴史画でないもの。
百年、二百年と永らえている大木は、健やかに生きて、嵐にあい、深手を負って、日照りに渇き、土を知り、虫や動物を知り、暑かった、寒かった、それ等すべてを全身に、幹の凸凹に、枝や葉の其処彼処に、記憶している。私にはそれが複雑に入り組んだ難解な暗号にしか見えないのだが、読めないなりに一つ一つ筆写して、一つ一つの形を覚え、そしてその形を愛でる。これが私が想う、この大木の歴史だ。
「百の風 百の雨 百の陽」
原 雅幸
ここはイギリスの湖水地方にあるハートソップという村の羊牧場です。赤紫のヘザーの花が山の中腹に残る晩秋の頃、羊たちがのどかに牧草を喰んでいます。時折り遠くから羊を追うシープドックの吠える声と羊飼いの巧みな指笛が聞こえます。ここは昔から人と自然が共存し闘ってきた風景です。ですからこの風景には風景画として描くための大切な理由がたくさん見つかります。
ひとつひとつ岩を積み上げた垣根は、どれほどの労力と時間がかかったことでしょう。
人が造った物は時間と共に朽ちていき、自然に戻され周囲と一体化し調和していきます。そしてこの風景にとってなくてはならない物となるのです。
「ハートソップの羊牧場」
大畑稔浩
この作品は、神話の国、出雲大社の近くの「出雲日御碕灯台」と周辺を描いたものです。
現実の風景で、絵巻物のように5つの項目に分けて描き、テーマは、「光」と「祈り」です。作品の右端から、八岐大蛇のようにも見える雲を背景に、鎮座する灯台。その土台になっている流紋岩(りゅうもんがん)と呼ばれる岩場。左に目を進めると突き出た島には太陽の位置を指し示す光と影。さらに左に行くと空と海からなる光のドラマ。そして最後に経文を並べた机に見えることから名付けられた「経島(ふみしま)」。この方角の先には、朝鮮半島や大陸があり、現在、戦争や紛争が伝えられています。一日も早く平和が訪れますようと祈りながら描いたものです。
「出雲風景―日御碕灯台」
小尾修
今回の作品のモデルは、コントーションと呼ばれる身体表現をしているパフォーマーの方です。
芸術性の高い身体表現を達成するために鍛え上げられた肉体はそれ自体が美しいんですよね。この作品はその美しさをシンプルに画面に描き留めたいという風に思ったところから始まっています。
ここに描かれたのはいわゆるコントーションの動きの中のポーズじゃなくて、むしろまるで動かない、彫像みたいに椅子に腰かけて静止している、いわば静的な姿なんですけど、例えば頭部から膝にかけての優美な曲線の流れ、それに対して膝を抱えた手とか、引き伸ばされた腕の筋肉の張りつめた緊張感。後ろに半分倒れた上半身とバランスを取ろうとするために、左足のつま先までピンと神経が行き届いた感じだとか、静的なポーズの中に潜む動的な躍動感をなんとか感じさせたいなと考えながら書きました。
モデルがメインの作品であるにもかかわらず、作品の中では彼女を取り巻く空間を比較的広くとっています。これはここから広がっていくであろう彼女の身体の動きの広がりを想像させるに十分な空間を、私自身が欲したからなのかもしれません。
「鼓動」
石黒賢一郎
2047年。AI技術は人間の意識を再現できるようになった。
日本内閣府は、各省庁を横断した「1496」委員会を秘密裏に組織したが、傘下の生理学研究所で重大な事件が発生した。研究員の一人が人間の意思をコントロールできるウイルスを作り上げて逃亡。その後テロ組織と結託し、強力なウイルス兵器を開発してしまったのだった。
このウイルスに感染した人間は意思をハッキングされ、怪物の身体へと変貌する。
世界中が混沌に包まれる中、研究所所長の黒木教授とその娘・ユウキもウイルスに感染してしまった。
ユウキはウイルスの増殖を抑えるため細胞融合増殖抑制装置に入ることとなった。
「細胞融合増殖抑制装置(Injection Devices)」
諏訪 敦
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「Utsushiomi」
塩谷 亮
モデルは15年前イタリア留学中に知り合ったシモーネという青年で、当時12歳の少年でした。
これまで継続的にモデルを依頼して、彼の成長を絵画として表現してきました。
背後のレリーフ像はもともとパルテノン神殿にあった作品で、現在はルーブル美術館が所蔵しており、私もかつて現場でデッサンをしたことがあります。
このギリシャ神話におけるケンタウロスとラピテス族の争いは多面的な解釈が可能ですが、神話の様々なエピソードは西欧文化のバックボーンにもなっています。レリーフの造形的な美しさは言うに及びませんが、私には現代社会を映す鏡のように人間の愚かしさも込められていると感じられてなりません。
レリーフの下方には西洋における直接的な死と生のアレゴリーを配し、今という時代を生きる青年を象徴的に表現しました。
「Simone con la mitologia」
廣戸絵美
少し古びた木製のソファ。そこにちょこんと座ってこちらを見つめる息子。
となりには彼が大切にしているふわふわのぬいぐるみ。薄いカーテンから溢れる光。
私にとっては、息子がそこにいるだけで、この世界が完璧なものに見えます。
窓から差し込む光に照らし出されたこの空間も、力強く、美しいと感じます。
身の回りに広がる小さな世界が特別で、完全なものであることを伝えたいのです。
これから綴られる「彼の物語」にとってこの絵がわずかでも支えになればと思って描きました。
「小さな物語」
少し古びた木製のソファ。そこにちょこんと座ってこちらを見つめる息子。となりには彼が大切にしているふわふわのぬいぐるみ。薄いカーテンから溢れる光。私にとっては、息子がそこにいるだけで、この世界が完璧なものに見えます。
窓から差し込む光に照らし出されたこの空間も、力強く、美しいと感じます。身の回りに広がる小さな世界が特別で、完全なものであることを伝えたいのです。
これから綴られる「彼の物語」にとってこの絵がわずかでも支えになればと思って描きました。
藤田貴也
この人物画は私の家族です。現在5歳の長女のナツカを描きました。説明はいらないと思いますが私との関係はとても密接であり、大切な家族です。単に人物を描いた人物画というより、もっとプライベートな意味があります。
一方、人体模型はその人物画の意味を相殺してくれる装置になっています。
具体的に言いますと、人体模型を見せることで人物画は人体としての感覚を持たせ、人間としてだけではなく、人体として見せたかったからです。人物がそこに存在していることが単に居る、ということでは片付けられない膨大な情報があると感じているからです。
人間としての営みの中で人とは何かという問いをもつことは人として自然なことで、その様な様々な問いを制作を通してアンサーを探っていく事が私にとっての絵を描く意味です。
人は遅かれ早かれいつかは死を迎えます。
「anatomical model / figure」
山梨備広
物質と欲望、科学を世の中の中心に据えた世界は、今飽和状態を迎え、崩壊寸前の様相を呈しております。この最後の光はきちがいじみた騒々しさと不気味な静けさとを湛え、怪しくも強烈に世界を照らしています。
僕たちは今、それぞれの執着と折り合いをつけ、あくせくと高を競い合うことをやめ、この回天の時を迎えなければなりません。
そしてその新しい朝に、世界の中心に据えるべきものは当然、道徳でしょう。
今僕らは修験宗のように、午後の最後の光の中で有終のイデアを看破しなければなりません。
「午後の最後の光」
三重野 慶
絵を描いていると、書き手の感情が絵に表れてしまう、ということがあります。
この3年間は自由に外に出られない閉塞感や、不安や、恐れに包まれていたと思います。その抑圧された状況を、何とか打破しようとしながら絵を描いてきました。
この絵の制作には1年間をかけましたが、その日々の積み重ねが絵にどう表れているのか、なぜ絵にそれが現れるのか、それを考えながら見ていただければと思います。